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沖縄ポップの祖、照屋林助さんとは、

 大きな体にまんまるに突き出たオナカ。ワタブー(デブ)、テルリンの愛称でも知られた戦後沖縄を代表する芸能人が、照屋林助さんでした。

 林助さんは、昭和4(1929)年4月4日、大阪で沖縄移住者の子として生まれています。お父さん(林山)が琉球古典音楽・野村流の幹部ということもあり、林助さんは古典音楽を早くからマスターしています。ただ、先人の教えをそのまま受け継ぐというような姿勢は、性格的に納得がいかず、常に「別のもの」「変わったもの」を模索するのが林助さんでした。

 こういったセンスに決定的な影響を与えたのが小那覇舞天(おはは・ぶーてん)という歯科医師です。沖縄の諸芸を理解し、加えてチャップリンなど西欧のユーモアにも通じていた異能者、ブーテン先生に、若き日のテルリンは憧れ師事するようになります。

 培われた芸能者としての素養は、1957年、歌と笑いのボードビル集団「ワタブーショー」の旗揚げによって、周囲の注目を浴び始めます。稀代のお笑いパフォーマー、前川守康を右腕に、ラテンやカントリー・ミュージックなど当時最先端の洋楽と島の伝承歌とを結びつけ、悲劇として知られる琉球歌劇の名作を「絶対に主人公は死なない」という物語に改編するなど、「どんなことがあっても生きていこう!」というメッセージを、彼とその仲間は人々に届けたのでした。翌1958年には「ワタブーショー」はラジオ番組ともなり、沖縄全域で<腹が突き出たデブのテルリンとその一行>(もちろん仲本興次さんも)は、一番の人気者となったのです(注:突き出た腹は、実はニセモノ)。

 1969年、マルテル・レコードを設立。この時の製作陣としての右腕が、今や沖縄島唄の頂点に立つ一人となった、知名定男さんです。小さいながらも、マルテルには優れた作品が多数残されています。

 1990年、コザ独立国終身大統領に就任。笑いと、沖縄文化の根底にある「チャンプルー精神」をブレンドし、たとえ政治的なテーマであっても、きちんと「コザ独立国」から発信してゆくというのが、林助さんの真骨頂でした。

 そんな林助さんの薫陶を受けた人たちの多くが、今では、沖縄のメディア、政治、芸能の中枢をになっているというのは、もしかしたら当然のことかもしれません。

 2005年3月10日、永眠。享年75歳の林助さんでした。

 2009年、そんな林助さんにちなみ、かつ島の歌文化を支えてこられた方々を顕彰しようと始まったのが「コザ・てるりん祭」なのです。